その昔アメリカ人で北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へ亡命した人達がいました。時代は1960年代に遡ります、4人のアメリカ人兵士は非武装地帯(DMZ)を通過して北朝鮮へと渡りました。まさか亡命した当初に彼らが北朝鮮で映画スターになるとは考えもしなかったと思います。彼らは拷問(心理的拷問も含む)を受けた後ある決心をしました、彼らはプロパガンダ映画の中で悪のアメリカ人としてデビューしたのです。
北朝鮮の映画スターになったアメリカの亡命兵士
陸軍軍曹チャールズ・ロバート・ジェンキンスさんはその当時24歳でベトナム戦争で戦うために派遣されることを恐れておりあまりにも多くのビールを飲みアル中になりかけていたようです、そして1965年1月の寒い夜に韓国から隣の国の北朝鮮まで歩いて行ってしまったのです。
北朝鮮に渡った後ジェンキンスさんは自身の反抗的な態度が北朝鮮に彼をアメリカに強制送還させると信じていたようですが、それは大きな間違いだったのです。北朝鮮当局はジェンキンスさんを40年近く拘禁したのです。
ジェンキンスさんは他の3人のアメリカ人兵士と一緒に捕らえられていたのです、ジェームズ・ジョセフ・ドレスノク一等兵、ラリー・アレン・アブシャー一等兵、そしてジェリー・ウェイン・パリッシュ伍長、彼らもまたアメリカ軍での地位を捨て韓国からDMZを横断して北朝鮮へと行きました。彼らの生活は北朝鮮政府によって常に監視されている中1室での共同生活でした。
4人全員は北朝鮮から逃げ出すためにソビエト大使館に亡命をしようと行きましたが、ソビエトは北朝鮮に追い返されてしまいました。ジェンキンスさんと他のアメリカの兵士は英語を教え、翻訳作業をして、そして当時の指導者キム・イルソンの教えを勉強する事に1日11時間費やしていたのです。
彼らはまた肉体的および精神的虐待にも耐えました。しかし、彼らの体に傷跡は見つかっていません。彼らは、DMZを介して韓国に渡って来たプロパガンダの為にに幸せで健康的に見えなければいけませんでした。そして彼らは最終的に北朝鮮の映画スターになりました。
若かりし頃のアブシャーさん
彼がDMZを通して北朝鮮に渡ったとき、ドレスノクさんはちょうど21歳でした。17歳でアメリカ軍に入隊したドレスノクさんにとって軍隊生活は困難でした。彼の家族生活や他の個人的な問題について落ち込んで、彼は衝動的に北朝鮮に行ったのです。
ドレスノクさんは「Comrade Joe」として知られるようになり、彼の声はアメリカの兵士たちが北朝鮮にやって来るように誘うためにDMZの場内アナウンス設備で使われました。そのアナウンス上ではドレスノクさんは北朝鮮に来る事によって亡命者が魅力的な女性に会い、良い食料を食べ、そして楽園生活を送れることを約束したのです。
ドレスノクさんは北朝鮮のプロパガンダ映画でも邪悪なアメリカ人としてキャストされていました。彼と他の亡命者たちは映画の中での活躍もあり北朝鮮で認められ、地元の有名人になりました。
プロパガンダの映画とは?
ジェンキンスさんと他のアメリカ人の亡命者たちは朝鮮戦争を中心としたUnsung Heroes(アンサングヒーローズ)と呼ばれる20部のシリーズの映画の中でキャストされました。彼らは邪悪な西洋人のキャラクターを演じました。
ジェンキンスさんはアメリカの武器製造業者が利益を得るために戦争を長引かせることを意図していたアメリカの戦士と資本家、ドレスノクさんは過酷な捕虜収容所のリーダー、アブシャーさんは2人の邪悪なアメリカ人の部下であり、そしてパリッシュさんは彼の国がイギリスによって占領されていることを憎んだ北アイルランドの将校で、映画の中でパリッシュさんとルイスさんは共産主義者になりパリッシュさんが公に現れたとき、英雄として賞賛されるという映画内容でした。
その後4人のアメリカ人兵士は北朝鮮の映画の定番となり、彼らの過去は許され、そしてもはや北朝鮮人にも嫌われる事も無くなったのです。ジェンキンスさんは北朝鮮の人々に公の場で彼の役中の名前で呼んだり、サインを求められたりする事もあったようです。彼は映画業界で働き、2000年まで何十もの映画に出演したのです。
彼の最後の映画プエブロは、北朝鮮で1968年に撮影され、現在平壌博物館に展示されています。アメリカの4人の亡命者たちは、映画に登場することに加えて、映画対話を書き起こして金正日を助け、それをプライベート映画の字幕作成をしたりもしていました。
晩年の4人の生活は?
アブシャーは40才の時に、心臓発作のために平壌で1983年に亡くなりました。パリッシュさんは90年代に腎不全で亡くなりました。 ドレスノクさんは、北朝鮮に拉致されたと伝えられているルーマニア人女性と結婚し、2人の子供を授かっていました。彼女の死後、彼は3番目の妻、韓国人女性とアフリカの外交官の間の娘と結婚しました。そして彼は北朝鮮に住み続け2016年に亡くなりました。
ジェンキンスさんは日本人女性と結婚したのです、しかもその日本人女性は北朝鮮人がスパイに日本語を教えることができるように誘拐したと言われています。
北朝鮮が日本人拉致の多数の犠牲者を返すことに合意した時に、ジェンキンスさん夫婦は2000年代初頭に日本に引っ越しました。脱走(脱北)のために裁判にかけられ、不名誉除隊処分を余儀なくされたジェンキンスさんは、医者が自分の腕に入っていたアメリカ軍の入れ墨を切り落とした方法や、何度も自分の命が脅かされた事を思い出したようです。
日本に戻った後のジェンキンスさん
北朝鮮に渡ったという決定を「私が犯した最大の過ち」と語って、彼は2017年に77歳で生き続け、彼は亡くなるまで彼の妻と2人の娘と一緒に日本に住んでいました。
まとめ
北朝鮮に亡命して映画スターになれるとしても、ちょっと行きたいとは思えません。ジェンキンスさんも最大の過ちだったと語っていたように、良い判断だったとは思えません。拉致問題も早く解決に進んでもらいたいものです。
Reference: Ripleys
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